これで良いですか?そうですか?そうですか。 [消費者洞察]

(2005年10月24日東京都世田谷区にて筆者撮影)
クリーニング店の店頭のポスター。この同じ女の子がしばらく前から起用され使い続けられている。個人的意見とは思いながらも、私はこうした広告表現が基本的には大嫌いだ。
その理由は、まず「かわいい幼稚園児くらいの女の子を出しておけば『親しみやすい』感じがして店先に都合良い」といった実は何も考えていない送り手側の決定が嫌。次に、現在のクリーニング依頼者の悩みや不安を捉えていない無為無策もそれに連なって感じられるのが嫌。せっかく「クリーニング師」という国家資格取得者が構成する団体であるクリーニング組合なのに専門性が感じられない。環境配慮(廃液処理など)、新しい繊維・染色知識、消費者対応などの知識のある資格なのにまったくそれが生きていない。
つまり印刷費を掛けながら「行うべきコミュニケーション課題」把握、計画立案がいい加減で「機会損失」をしてしまっていることに腹立たしいのである。効果逸失と言っても良い。こうした無駄をする鈍感な広告の送り方に私は怒りを持つのだ。
とはいえ、私の理の勝った意見はともかくも、業界の方々が「これで良い」「お客さんも様々だから」「客商売だから」と判断したならこれで良いのでしょうか?
そうですか?
そうですか。
半ばそう思いながらも、まだ半ば以上納得しがたい私なのですが・・・。
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(2005年10月28日JR新大阪駅にて筆者撮影) 飲料などの容器としてのビン(ガラス壜)が資源の観点から見直そう、といったポスターである。で、この新大阪駅構内のKIOSKにビン入りの飲料が売っているのか、と冷蔵ケースを覗き込めば、はたして一本もない。アルミ缶やPETボトル入りのモノ…[続く]
(2005年10月28日JR新大阪駅構内にて筆者撮影) 前エントリーにも写っていたポスター。広告主名(メーカー名もしくは小売業名)がない。誰がこの製品、広告を出しているのかが不明だ。したがって、JR、または関連企業が出しているとしか推定できないが、ことはしかとは分からない。 ポスター…[続く]
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安っぽい表現でも、広告ターゲットが安っぽければインタラクティブを為せると思ってるのでしょうか?
送り手側の広告リテラシーが滲む部分ですね…
by stickman (2005-10-25 09:51)
結構こんな広告多いですよ。
by ゲスト (2005-10-25 10:28)
実にささります。こういうの。
同感で、嫌いです。
by nina_day (2005-10-26 02:48)
こんばんは。
人間、全てのことに対して深く興味を持つことは出来ないという事例でしょうか。
「そこまで考えるのは面倒くさいよ」と思ってしまう人は、送り手側にも受け手側にもいるのだと思います。それはまあ、心の健康を保つためにはある程度必要なことですので、なんとも言えません。
いつもながらに明後日方向の意見で申し訳ありませんが・・・。他者がどうあるべきかということについて、口を挟むのはとても難しいことです。けれどもそういうお節介も、社会の中では重要なコミュニケイションかと考えます。
by Aa (2005-10-26 02:58)
stickmanさん、そういうことなのですよ。なんだかね~。
ゲストさん、そうなんです。だから広告が「意味なく量が増え」、広告の送り手からは「効果がない」また「広告なんてそんなもの」みたいな扱われ方がされます。誰にとっても不幸な社会情報環境が現出すると思うのです。
にーなさん、有難うございます。広告に接してよかったと受け手も思う、広告で確かに経営が広く支持された、そうした難しさに挑戦ですね。
Aaさん、私の論では「送り手の『経営資源』の浪費」がまず問題です。特にこうした公共性のある業界団体では、広告の送り手の適切な広告計画が組織的に説明責任を持つと思われます。多くの営利企業においても本業を通じた社会的責任が自覚される昨今では、民間私企業でも社会に広く(財・サービスの購買という支持を求める以上)説明責任が生じます。情報的有用性の乏しい広告の垂れ流しは社会的資源の用い方としても不適切だとも思われます。
要はやっても(誰のためにも)意味ない広告は、社会的に情報環境を悪化させるだけとも言えます。
あれやこれやで無駄なことはやめて欲しい、その気持ちがあります。ハウステンボスが美しく人気のあるのも、日本の街が汚ければ汚いほど肯けることとも一部重なると思われますがいかがでしょうか。
by yutakami (2005-10-26 17:40)